【鹿子木宏明のDX対談】株式会社クラレ スタンリー・フクヤマさん

独自の技術で、世界トップシェアを誇る高機能樹脂や化学品、繊維などを開発・製造する総合化学メーカー、株式会社クラレ。DX推進を主導するDX-IT本部と機密情報管理がご担当のスタンリー・フクヤマさんに話を伺いました。

鹿子木 フクヤマさんはもともと技術職に就かれていたそうですね。

フクヤマ はい。ブラジルの工科大学、航空技術研究所(ITA)で学び、飛行機のエンジニアとしてキャリアをスタートしました。90年代にはフォードでITマネジャーなどを務め、日本でIT企業の代表をしていた時期もあります。2011年にクラレがブラジルで営業所を設立する際にコンサルとして参画したことがきっかけで、現在に至っています。これまでIT事業の立ち上げ、M&A、ビジネスモデルの構築、システム設計など、様々な業務に携わってきました。

鹿子木 非常に幅広いキャリアをお持ちですが、その多岐にわたる経験の中でもDX推進に最も役立っていることは何でしょうか。

フクヤマ 航空エンジニアリングの知見です。飛行機は複数のシステムが連動する複雑な機械で、どれか1つに不具合が起きても別のシステムが瞬時に補完し、安全を維持できるよう設計されています。その背後には膨大なデータと分析の蓄積があります。
また、新技術の導入にも積極的で、オートパイロットは1960年代から導入されていますし、自動車への導入で話題になったドライブ・バイ・ワイヤ(運転制御システムの一種)も自動車よりかなり早く実用化されていました。シミュレーションによって「物理」と「バーチャル」が高度に融合した世界が確立されており、これは現在のDXに非常に近い考え方だと感じています。

鹿子木 航空業界は安全第一で保守的というイメージがあったので意外でした。そうした先進的な環境に身を置かれていたことが、DX推進の基盤になっているのですね。

フクヤマ そう思います。弊社の中期経営計画「PASSION 2026」でもDXを中核戦略に掲げ、“a digitally savvy company”という言葉を使っています。“savvy”には「理解したうえで適切に使う」という意味があります。つまり、ツール導入の前に「何を解決したいのか」「どんな考え方が必要なのか」を明確にすることが重要だという姿勢を示しているのです。

鹿子木 確かにDXというと、まず新しい技術を導入することに目が向きがちです。

情報は貯めるだけでなく、引き出して使うことが本質

フクヤマ 私の師であり、航空機メーカーのエンブラエルの創業に関わった人物がよく語っていたのが、「エデュケーション(education)」という言葉の語源です。これは、ラテン語の「エドゥカーレ(educare)=知識を与える」と、「エドゥチェーレ(educere)=引き出す」の2つに由来します。私はとくに後者の“引き出す”という概念が今のDXの核心だと考えます。
人は昔から、蓄えた情報を必要なときに取り出して活用してきました。紙かデジタルかという違いはあっても、本質は変わりません。しかし、DXの現場を見ると、情報を貯めることばかりに注力され、どう引き出し、活用するかが後回しにされがちです。

鹿子木 御社ではデジタルを活用する4つの柱として、「カスタマーエクスペリエンス(顧客体験)の改革」「業務プロセスの改革」「ビジネスモデルの改革」「研究開発・生産技術シミュレーション」を掲げています。その中でまず興味深く思ったのは、「シミュレーション」が入っていることでした。どのような意図があってのことでしょうか。

フクヤマ 経験だけを頼りにプロセス改善を行うのはとても大変です。費用と手間をかけても、よほど大きな問題がない限り、劇的な改善にはつながりません。
一方で、研究開発のようにトライ&エラーを重ねる分野や、最適化が求められる領域では、デジタル技術の活用によって、従来をはるかに上回る成果を生み出せる可能性があります。とくにシミュレーションは、現実で物理的な実験を行う場合に比べて、時間やコストを大幅に削減できます。数理モデルの真価はまさにそこにあります。

鹿子木 だからこそシミュレーションの精度が要になるのですね。化学領域のシミュレーションの現状はどうなのでしょうか。

フクヤマ 化学反応は多様な要因が絡み合うため、思わぬ結果が生じやすく、精度の確保が難しい面があります。医薬品のような低分子では精度が向上していますが、弊社が扱う高分子は構造が複雑で、まだ実用レベルには課題があります。とはいえ、AI技術が進化し、分子構造予測が現実的な段階に入りつつあるのも事実です。
お客様が求めているのは、分子そのものではなく“その分子が生み出す物性”です。だからこそ、狙った物性を引き出せる分子を設計する力が必須なのです。
現場にいたころ、メーカーから「この素材は何百度まで耐えられる」と説明を受けても、実際に使うと違う結果になることが何度もありました。その経験から、シミュレーションと現実の一致度を高めたいと強く思ったのです。現在は世界最大手のシミュレーションソフトウェア企業である米Ansys社と協働して、お客様は実際に素材を試す前に、現実に非常に近い結果を仮想空間で体験することができます。高い再現性への信頼こそが、顧客体験の原点だと考えています。

鹿子木 航空エンジニアリングでの経験は、顧客体験の改革においても活きているわけですね。

デジタルを人任せにしては、DXで改革できない

鹿子木 DX推進の過程で、苦労された点はありますか。

フクヤマ デジタル関連は、すべてIT部門の仕事だという意識が強かったことです。社員が自分事として捉えていませんでした。しかし、デジタルはもはやコアビジネスと分離できない存在です。外部に任せられる部分もありますが、競争力につながる部分は自社で担わなければなりません。
意識改革を進めた結果、現在では「デジタルはコアビジネスを動かすための不可欠な手段である」という考え方が定着し、弊社の強みであるニッチビジネスを支える基盤にも育ってきています。

鹿子木 DXをうまく進めるポイントはどこにあるとお考えですか。

フクヤマ 偉そうなことは言えませんが、80年代の日本人が持っていた強さ──つまりチャレンジ精神を思い出すことだと思います。当時、日本の製造業は海外製品を分解して原理を理解し、そこから改良して自分たちの力に変えていました。しかし今は、海外のソフトウェアをブラックボックスのまま使ってしまっています。これでは差別化要素がなくなり、競争の土俵に上がることすらできません。
デジタルの時代でも、「このソフトウェアはどんな原理で成り立っているのか」と疑問を持ち、その内容を理解する姿勢は極めて大切です。データや情報、最新技術も“製品”と同じように扱い、QCサークル的な管理を適用すれば、日本の強さは必ず取り戻せるはずです。

鹿子木 80年代から国内外の現場を数多く見てこられたからこその、多角的な視点でのDX推進のお話、大変参考になりました。本日はありがとうございました。

対談を終えて

フクヤマ様のお話を伺い印象的だったのは、深い技術的バックグラウンドをお持ちである点に加え、航空業界という高度な安全性と効率性が求められる領域で、DXの“理想形”を実際に経験されていることです。成功モデルを現場で体験してこられたからこそ、目指すべき方向が非常にクリアで、そのビジョンに対して確信を持って行動されていると強く感じました。
また、日本の製造業において欠かせない差別化要素を維持しながらDXを進めるという考え方にも深く共感しました。単なるデジタル化にとどまらず、各社固有の強みをどう守り、どう拡張するかという視点は、今後の競争環境を見据えるうえで極めて重要です。
さらにユーザー側の視点を大切にされていて、物理的技術とシミュレーションの両方に力を入れておられるのもフクヤマ様ならではだと感じました。こうした多角的なアプローチが、より実効性の高いDXを実現されている理由だと理解しました。(鹿子木談)

Profile

株式会社クラレ 執行役員 DX-IT本部担当 機密情報管理担当

スタンリー・フクヤマさんStanley Fukuyama

2022年1月新設のグローバルデジタルトランスフォーメーション(GDX)推進室の立ち上げに参画し、DX推進体制の構築に尽力。2023年1月DX-IT本部長に就任。2023年3月執行役員に就任。2026年1月より現職。中期経営計画「PASSION 2026」のもと、CRM導入やデータ活用による業務改革を推進し、全社的なDXを牽引している。

横河デジタル株式会社 代表取締役社長

鹿子木宏明Hiroaki Kanokogi

1996年4月にマイクロソフト入社。機械学習アプリケーションの開発等に携わる。2007年10月横河電機入社。プラントを含む製造現場へのAIの開発、適用、製品化等を手掛ける。強化学習(アルゴリズム FKDPP)の開発者のひとり。2022年7月より横河デジタル株式会社代表取締役社長。2025年4月より横河電機株式会社執行役。博士(理学)。