街づくりを通じて、人々の暮らしや働く環境に新たな価値を創出してきた三菱地所株式会社。ものづくりにも通じる体験創出のDXや、顧客接点の進化、業務改革への取り組み──その組織づくりとは。

鹿子木 非製造業のお客様を対談にお迎えするのは今回が初めてです。
まず、ご経歴から伺いますが、伊東様は以前からIT関係に携わっておられたのですか。
伊東 実はまったく関係なく、今の業務は予想外でした。そもそも三菱地所に入社したのは、自分が手掛けた建物が子どもや孫の代にまで残り、自分のやってきた仕事を見せることができると考えたからです。
新卒で入社し、14年間住宅事業に携わりました。土地を仕入れ、建物を企画・開発し、お客様へお届けする仕事です。その後はオフィスビルや再開発、ビル運営、経営企画、グループ会社への出向、空港事業など、さまざまな領域を経験しました。
現在はDX推進と新事業創造を担当しています。社内では一つの事業領域を長く担当する社員が多く、私のような経歴を持つ者は少数派かもしれません。振り返ると、その幅広い経験があるからこそ、実際に事業部門と伴走する中で議論できることが数多くあります。事業を知っていることがDXを進める上での強みになっていると感じています。
鹿子木 製造業においても、現場を知る人の存在なしに、IT技術の導入だけではDXは進みません。
不動産業はリアルな資産を扱うビジネスという印象があります。一方で、製造業も製品という“モノ”を扱います。その意味では、デジタルとの向き合い方にも共通点がありそうですね。
伊東 おっしゃるとおりです。デベロッパーとして取り組んでいるのが街づくりです。これは“ハード”のイメージですね。「人を、想う力。街を、想う力。」をスローガンに、そこに住まう人、働く人たちの体験を豊かにし、そこにいることが心地いいと思ってもらえる街をつくる。それが“ソフト”にあたるものです。これまで、ハードとソフトの両面において、リアルな体験提供を積み重ねてきました。そこにデジタルを活用することで、体験価値がさらに豊かになると考えています。
例えば、職場が丸の内で、住まいは弊社の分譲マンション、休日には弊社運営のホテルやアウトレットを利用されているお客様がいらっしゃいます。以前は、それぞれ別のお客様として認識されていました。今はグループ全体でIDの統合がほぼ完了し、同じ方が複数のサービスをご利用になっていることが見えるようになりました。すると、お客様それぞれのニーズに応じたサービスを提案できるようになり、データ分析の精度も大きく向上します。今はマス単位の分析ですが、いずれは個人単位の解像度へと高めていく方針です。
また、販売、管理、メンテナンスなど、グループ会社と共通の基盤を持つことで、お客様は長年にわたり、さまざまなサービスをスムーズに利用できるようにもなります。
属人化する関係と知恵を、組織の資産へと変えていく
鹿子木 お客様への価値向上だけでなく、グループで顧客情報を共有することのメリットも大きいですね。
伊東 不動産開発事業は土地の仕入れから始まりますが、これは原料の仕込みに近いものです。ただ、原料が定期的に入荷するわけではなく、一つ一つ条件が異なり、競合との駆け引きもあります。そのため、すぐに土地を売る予定のない方や、有効活用を考えている方と、複層的かつ長期にわたる関係を築いていく必要があります。丸の内でビルをお借りいただいている企業様が、別の街の土地に関心をお持ちになる、といったこともあります。
加えて弊社では、基本的に4〜5年ごとに異動があります。組織の新陳代謝という点ではメリットがありますが、そのたびに個人が築いてきた人的ネットワークが途切れるおそれもあります。そこで今年、CRM(顧客関係管理)システムをリプレイスし、大幅な機能拡張や利用範囲の拡大を行いました。これまでは、開発案件の取得段階やオフィスビルのテナント誘致など、一部の業務に限定して使用していましたが、今後は、DX推進部におけるシステムベンダーとの取引をはじめ、あらゆるお客様との接点情報を記録・蓄積し、グループ全体で長期的かつ多面的な信頼関係を構築・深化させる基盤として活用していく方針です。
鹿子木 属人化を解消し、細かい情報まで長年共有していく発想ですね。
伊東 不動産は毎回異なるものをつくるため再現性の確保が難しく、経験を積み重ねないとノウハウとして蓄積されにくいという性質があります。結果として、経験年数にほぼ比例して個人の力量が決まってしまいますし、横展開も容易ではありません。
図面への書き込みや商談の履歴など、非構造化データは大量にありますが、これを組織の知恵として蓄積する仕組みはこれまで十分に整備されていません。設計段階から保守や運用の目線を取り入れることで、その後のメンテナンスも楽になり、建物の価値も長く保てます。多大な労力を割いてこれを実現しているのですが、今後は、AIの力も借りながら、より効率的に進めていきたいところです。

効率化・生産性向上。そして新たな価値創造へ
鹿子木 こうしたDXの取り組みから、新たなサービスも生まれていると聞きました。
伊東 昨年、オフィスビルのセキュリティ権限管理を一元化する統合型権限管理システム「ReconIDs(レコナイズ)」の運用を開始しました。ビルの入退管理は、テナントごとに権限情報を表計算ソフトやメールで管理しているケースも多く、裏側は意外に煩雑です。その仕組みをNEC様との協業で整流化し、自社ビルでの活用実績をもとに他社へも広げています。これはビル管理の煩わしさを解消したいという自社の課題解決からスタートしました。テナントや外部のビル保有事業者・管理会社等のお客様にも大変好評です。
鹿子木 ビルを管理されている御社だからこそできる取り組みですね。DXの推進によって、社内で感じる変化はありましたか。
伊東 大きく二つあります。一つは、データを活用した意思決定がしやすくなったことです。もともと弊社にはデータを見て判断する文化はありますが、必要な情報をタイムリーに把握できるようになり、事業判断も経営判断もスピードが上がりました。
もう一つは、社員個々の生産性向上です。業務のデジタル化が進み、社員がより付加価値の高い仕事に時間を使えるようになってきています。
鹿子木 経営面でも現場でも成果が現れているのですね。しかし、不動産業でデータを重視する文化というのは意外に感じました。
伊東 マンションやオフィス等の事業では、まず周辺の売買や賃貸事例をスペックと価格、ロケーションで比較し、市場を推測するところから始まります。工事費の過去データも参照します。経験や勘ではなく、現存するデータをもとに将来を推測する思考は、以前から根付いていました。テナント契約の情報も、来年の収入や解約時期を含めて古くからシステムで管理してきました。ただ事業全体としては、どんぶり勘定になりやすい面もあり、合理的な思考が完全に定着していたわけではありません。DXの「D」だけでなく、社員の思考法という「X」の部分を磨く必要性にも気づかされました。
鹿子木 最後に、DXを推進する組織づくりについて教えてください。
伊東 DX推進一部、二部で合わせて約90人おり、うち約70人はキャリア採用の専任職です。セキュリティ、インフラ、アプリ領域のみならずデータアナリティクスなど専門性の高い人材がそろっています。残りの十数人は事業部門の出身者で、各部門との接点を持ちながら、アプリケーション開発や業務改革につなげる橋渡し役を担っています。
若手には3〜4年DX推進部を経験した後、事業部門へ戻ってもらうローテーションを考えています。そうすることで、最新のデジタル知識を吸収した人材が会社全体に少しずつ増えていきます。DX部門だけが知識を持つのではなく、現場へ戻った社員が変革の担い手になっていくことを期待しています。
鹿子木 DXを一つの部署だけで完結させるのではなく、組織全体へ広げていく考え方ですね。
伊東 そうです。DXは専門部署だけが進めるものではありません。一人ひとりがデジタルの特性を理解し、自ら活用していくことが理想です。全社的なリテラシー向上のための施策にも取り組んでいます。
鹿子木 不動産業と製造業は業種こそ異なりますが、長期にわたる顧客との関係づくり、暗黙知の継承、現場とDX人材の連携など、本質的な課題は共通していると感じました。ありがとうございました。

対談を終えて
不動産業のDXと聞いても、イメージが湧きにくい方も多いのではないでしょうか。今回のお話で最も印象に残ったのは、街や建物そのものがプラットフォームになっているという考え方でした。デジタルの世界では、プラットフォームの上にさまざまなサービスが広がっていきますが、それと同じように不動産業では、その役割を街や建物が担っています。
だからこそ、ポイントサービス、ビル管理、防災など、多様なサービスを街という基盤の上でつなぎ、新たな価値を生み出していけるのです。DXとは単なる業務効率化ではなく、人が暮らし、働き、集う街そのものを進化させ、新たな体験を生み出す取り組みなのだと感じました。
製造業では製品が価値を生み出す基盤になりますが、不動産業では街全体がその基盤であり、リアルとデジタルが融合することで新しい体験やサービスが生まれ続ける──そんな街づくりに携わる企業だからこそ実現できるDXの可能性を、改めて実感した対談でした。(鹿子木談)
Profile
三菱地所株式会社執行役員 新事業創造部・DX推進一部・DX推進二部情報システム・情報システムセキュリティ担当
1993年に三菱地所株式会社へ入社。戸建ての分譲事業からキャリアをスタート。3年間の広島勤務を経て、首都圏のマンション事業に11年間携わる。都市開発事業部、ビル運営事業、経営企画部、インテリアデザイン会社への出向を経て、2023年空港事業部長に。2025年より執行役員として、新事業創出とデジタル・ITを起点としたビジネスモデル革新を牽引。
横河デジタル株式会社 代表取締役社長
1996年4月にマイクロソフト入社。機械学習アプリケーションの開発等に携わる。2007年10月横河電機入社。プラントを含む製造現場へのAIの開発、適用、製品化等を手掛ける。強化学習(アルゴリズム FKDPP)の開発者のひとり。2022年7月より横河デジタル株式会社代表取締役社長。2026年4月より横河電機株式会社執行役員。博士(理学)。